すがのかよ の プロフィール


1973年 兵庫県加西市出身

 

 

趣味:散策、ジョギング、山登り(歩いていて景色がどんどん変わるのが好き)

     ミュージカル鑑賞など(舞台までの練習を想像してさらに感動してます)



自己紹介

 マイペースです。あんまり要領はよくないです。漫才でいえばボケ、ツッコミは苦手です。一度にあっちもこっちも対応する居酒屋の店員さんのようなことは苦手ですが、じっくりとひとつのことに取り組むことは得意です。

 

 いまでこそ、やりたいことができたり、周りの人と一緒にたのしく仕事したり、一緒にいイベントをしたりなどしてる私ですが、23歳くらいまではたいへんでした。会話のキャッチボールはできないし、大勢の中にいても自分の居場所をみつけられない。どこにいても誰といても気持ちがやすらぐ瞬間はありません。ストレスで体調もよくなかったです。

 

 転機になったのは、ヒーリングやセラピーの手法を体験したり、身につけたりができるようになってからでした。いっこいっこ、これまでの傷ついた心をいやしたり、自分のことを肯定したりしていくうちに、頑なに閉じていた心が開きます。リラックスして落ち着いていられる時間がふえていきます。インスピレーションをうけとったり、自分の中にある解決策と出会ったり、という経験を重ねていきます。すると、環境や状況がどうであっても自分のことを信頼できるようになっていきました。

 

 実はいまでも、能力的にアンバランスなところはあるようです。⇒ 発達障害の検査を受けてみました。ADHD?

 

25年ほどの間、たくさんのセラピーの手法を体験してきてわかったことは、持って生まれた資質をしっかり使ってたのしみながら毎日をすごすために、自分の状態をいい状態に整えることは大切なんだということでした。

 

思考や心が柔軟になると、生活も人間関係も豊かになります。いい状態でいるときは、不思議と物事はスムーズに進むし、いいアイデアも出てきます。

 

これからもまだまだ、よりよく生きるための取り組みは続けます。やってみてわかったことはシェアしますので、必要な方にこれまでの私の経験がお役に立てばうれしいです。


さらに詳しい自己紹介(長いので、ご興味があればどうぞ)

 

幼児期 ~ 小学校低学年

子どもの頃からのんびり屋。ぼーっとしてたり、空想するのも好きでした。

自己主張することや、わがままを言うことはほとんどなく、母親からみれば「育てやすい子」だったようです。

とはいうものの、周りで起こっていることに好奇心を示したり、自分から積極的に遊びをみつけることも苦手だったので、お友達の遊びのあとをついていくばかり。。。おもしろくない子だったのでしょうね。お友達の仲間に入れてもらえず、仲間外れにされたり、からかわれたりと悲しい想いをすることが多かったです。

 

小学生時代

クラスに気の合うお友達がいたからでしょうか。穏やかに楽しくすごせた時代でした。学校の勉強もたのしかったです。が、この頃からすでに「ケアレスミス」が目立っていました。特に算数。文章問題は理解できる。計算は合っている。なのに、答えを横の欄に書くときにまちがっている。この部分は、新学年になってすぐの家庭訪問のときに、いつも話題にあがっていました。

 

中学時代

穏やかに伸び伸びとすごせた小学生時代とうってかわって、中学校になると途端に友達の話題についていけなくなりました。クラスでの休み時間や放課後の部活、体育祭などのイベントのときは、居場所がなく苦痛でした。人間関係の悩みは深刻でした。それでも、勉強はたのしかったです。授業で先生の話をきくだけで理解できました。クラスがかわったらよくなるのかなぁ。高校に進学したらかわるのかなぁと、淡い希望を抱いていました。

 

高校時代

進学しても、人間関係に関する悩みはどうにもなりませんでした。周りの友達はたのしそうに学校生活を送っているのに、クラスでも部活でも居場所がない。でも、不登校する勇気がなく我慢して学校に通っていました。

すると、身体に不調が出るようになります。頭が痛い、お腹が痛いと言っては、病院に行きます。けれど、お医者さまに診てもらっても特に異常はありません。「ストレスを溜めないようにね」「細かいことは気にしなくてもいいのよ」とアドバイスされておわりでした。

そしてやはり、大学に進学したら、またいいことがあるかなぁ・・・と淡い期待を抱きながら、受験勉強にはげんでいました。

 

大学時代

田舎の少人数の学校だったからでしょうか。共通の話題が多かったからでしょうか。友人もできて穏やかにたのしい学生生活を送ることができました。けれども、人付き合いが上手になったのかというと決してそうではなかった。他大学の人と交流する機会があったとき、やはり「会話ができない」「居場所がない」「空気がよめない」という点があぶりだされて、グループの中に入れないことがありました。まったく居場所がなくて辛かった。この状態は、高校時代と同じでした。。。

 

1996年 兵庫教育大学学校教育学部を卒業

 

進学したのは、唯一受かった大学だったので、もともと教師になるつもりはなかったのです。旅行会社のカウンターのお姉さんとか添乗員さんとかテキパキ仕事されているのに憧れて、苦手なことを克服したかったのもあって、旅行会社に就職したいと思っていました。クラスメイト達は、中高の教職免許を取るために授業をびっちり埋めていたので、私は空いた時間に旅行の資格の勉強をします。無事、資格を取得でき、就職活動ではたくさん旅行会社をまわったのですが、一社も受かりません。あきらめて地元の百貨店に就職しました。その百貨店の子会社には旅行部門があったので、入社後すぐに旅行部門に配属してもらえることになりました。

 

社会人

当時の勤務先は、いま振り返れば、アットホームな職場でした。普通ならば、先輩たちに可愛がってもらえているのでしょう。けれども当時の私は、先輩たちの輪の中に入っていくことができませんでした。共通の話題がない人とは会話をすることができなかったのです。親しくなれるタイプの人も限られていました。先輩たちに甘えていくことも、いろんな人のいいところを受け入れることもできなかった。仕事もできなかったですが、プライドだけは高かった。

「相手が私に優しくしてくれないのに、どうして私のほうから歩み寄っていかなければいけないの?」というような戦いモードでいましたから、すぐに職場で孤立することになりました。「先輩に目も合わせてもらえない」「挨拶しても返してもらえない」「もちろん、口もきいてもらえません」ストレスいっぱいの毎日でした。最初の職場は、2年1ヶ月で退職しました。

 

1996年11月 初めて、ヒーリングを習いはじめました。レイキ(エネルギーワーク)です。

 

周りの人が変わっても、環境がかわっても、身近な人との人間関係は相変わらずうまくいきません。

状況を改善するために、なにをどうしていいのかわかりません。「勉強していい成績をとったら尊敬してもらえるのかな?」「資格をとったり、なにかすごいことができたら受け入れてもらえるのかな?」「何か私に付け足されたら、周りの人の私への接し方もかわるのかしら?」とりあえず、考えられることはやってみました。それでもやっぱち、現状はまったくかわりません。原因は別のところにあるようでした。

 

人が変わっても、場面が変わっても、同じようなパターンが続いていく。これはもう「原因は、周りの人でなく、私のほうにあるのだろう」と認めざるを得ませんでした。ストレスで頭が痛い、お腹が痛いというのも続いていたので、健康にもいい影響があるのかな?と、当時はまだ新しかったヒーリングを習得することにしたのです。わらをもすがる想いでした。

 

そして、うれしいことに、ヒーリングを習った効果が、時間をかけてじわじわと感じられるようになっていきます

 

ヒーリングはエネルギーワークです。エネルギーの流れや伝わりがスムーズになると、エネルギーに乗った情報が入ってきやすくなったり、伝わりやすくなったりしていきます。

周りの人とのコミュニケーションが楽になるのです。意思の疎通は、言葉も使いますが、言葉以外のもの(雰囲気とか、ニュアンスとか、なんとなくの感じることなど)で、たくさんの情報のやり取りをしていることを実感しました。自分がどう感じているのか?どんなことに興味があるのか?感覚も少しずつ磨かれていきました。できることも増えていき、毎日がどんどん楽しくなっていきます。

 

変化は、子どもの成長のように

ヒーリングを習ったことで、生きやすくなってはいったのですが、それは魔法のように瞬時に変化したのではありませんでした。子どもの成長のように、日々いろんな気づきがあります。気づけたら、自分の行動を微妙なところで修正します。受け取れるものがきめ細かくなっていったみたいで、周りの人との関わりから多くのことを学べるようになっていきました。

ストレスも減ったのか、からだの状態もどんどんよくなっていきました。

 

思春期の心の変化がどっと来た!

私の場合は、ヒーリングがきっかけで、からだや心の状態が本来の状態にもどったようです。だから、ヒーリングがきっかけで、そこからいろんな成長できる出来事があった。周りの友人たちが、中学・高校の人間関係の中で学んできたことを、私はようやく23歳になってからやっていったようなところがありました。しかも、一気にどっとやってきた!自分の変化についていくのはたいへんでしたが、それでも、これまでにない楽しいことが毎日たくさんあって「やっとこの世界に生まれたのかな」という感じでした。

 

2つ目の職場

次の職場は、遊園地の事務でした。仕事も前よりはできるようになっていたのかもしれません。楽しく毎日を過ごせるようになってきました。

が、日常がたのしくなってくるにつれて、「私が本当にやりたいことって何なんだろう?」という問いが生まれます。自分の進む道をさぐりながら、悶々としはじめたのもこの頃からです。

 

その後、旅館の仲居、カーテンの販売など、いろんな仕事を経験しました。

 

2003年 本格的に、いろんなワークを身につけていく

レイキを教えてくださった先生が、セラピストの育成をされていたこともあり、エネルギーワーク、メンタルワーク、ボディワークと、総合的に学び始めました。

エネルギーワークは、目に見えない世界のことです。自分の状態がよくなったのはいいけれど、どうして変化したのか理解できずにいたので、メンタルワークやボディワークを経験したことで、原理原則のあるちゃんとしたものだということが理解できるようになりました。

 

様々なアプローチで、自分で自分の状態が整っていくことで、望む方向へ人生の舵をきることのたのしさを経験します。

 

落ち込まなくなった、ネガティブにばかり考えてしまう癖から解放されて楽天的になってきた、ツイテルことがふえた、人のいいところに意識が向くようになった、やりたいことができる etc

 

発達障害という概念を知る

身近な人に、私自身の能力のバランスの悪さを指摘される。これは、寝耳に水でした。

確かに、子どもの頃からよく「ちょっと変わってる」と言われていたし、周りの子たちのペースについていけなかったりしてました。けれど、以前にくらべると「できること」が増えていたし、私本人の自覚としては「私がふつう」だと感じています。

でも言われれば、依然としてできないこと、不器用なこと、思うようにならないことも残っています。 そしてやっぱり、マイペースです。そういえば、子どもの頃のことを思い出しても、たとえば勉強ひとつとっても、社会や国語はできたけど、数学、物理はできなかったり、いろんな面でアンバランスさが目立っていました。

 

アンバランスな自分なんて受け入れられない!

けれども、このころはまだ自分の嫌なところをみることが恐ろしくて、自分と向き合うことができずにいました。発達障害に関係する本も、怖くてみることもできません。「周りの人とちがうの?」「障害ってなに?」ショックを受けるのは、「どうやら私は、ちょっとバランスが悪いらしい」ということがわかっても、改善したり、何らかの対策をとることができないからです。気を取り直して、できるだけこのことは考えないようにして日常生活に励みます。

 

2005年11月 地元の旅行会社でバス旅行の添乗員の仕事をはじめる

自分のことに関して、不安や恐れはありました。「私はこれから、どうやって生きていけばいいのかしら?」

でも、生きていかないといけません。仕事もしないといけません。

そんなときに出会ったのが、地元の旅行会社でのバス旅行の添乗員の仕事でした。最初の頃は、いい仕事もできなかったのだと思うのですが、お客さんに恵まれていたのでしょうね。不思議とクレームはなく、細く長く仕事を続けさせてもらえることができました。

 

旅行の仕事などをしながらも、セラピーの学びを続けます。

自分がいい方向へかわっていっていったこと、その経験を周りの人にも伝えたいと思ったこと。

さらに、これから自分がどんな風にかわっていくのかな?という好奇心からです。

 

添乗員を続けながら

仕事は、塾の講師、派遣会社の事務、学童保育の先生、子ども家庭センターでの学習補助なども経験させてもらえました。

 

 

 

「できるようになること」から「そのままの自分を認める」ことへの変換

 

セラピーの経験も、最初の頃は「できないこと」を「できるようにする」ことに重きを置いて、がんばったセッションをしていました。けれども、その路線では、やればやるほどシンドクなります。何かがちがうことはわかるのですが、何をどうしたらいいのかわかりません。

 

そんなとき、それまでの私の常識をくつがえす、おもしろい体験をすることになります。

 

 

2007年 「大阪で野口体操教室を!」 からだからリラックスした状態をしる

2012年 EFT(タッピングセラピー)押し込めていた感情を手放して、より自然体でいられることを体感する

2013年 カフェキネシ、ピーチタッチ からだの力の入り具合から、さらにラクな状態へと整えていきます

 

楽な状態になったと感じても、まだまだ先があるものですね。セラピーは玉ねぎの皮むき作業に例えられますが、やればやるほどより楽になります。

そして「私がそのままの私を認めれば認めるほど、周りの人も私のことを認めてくれる」「私が私自身に優しくできると、私が周りの人にもやさしくできる」ことを実感しました。

 

夢だったことが、できる嬉しさ 

その後、富士山に登ったり(9.5合目まで)、六甲シティマラソン(10km)に参加したり、ウーマンドリプラにプレゼンターで参加して夢を語ったり、これまでの「できればいいな」とぼんやりと願っていたことを次々と体験できました。友人たちと一緒に「まるしぇ」のイベントをできたことも楽しかったです。

 

 

2017年12月 心療内科で発達障害の診断を受けてみる

さらに、興味のあったセラピーの学びを深めます。プロセスワークに参加して、グループの中でそのときの自分を語ることがよかったのかな? いまの自分の状態を、調べてみようと思うようになりました。自分と向き合うことはドキドキしましたが、やっと、そのままの自分を見る心の余裕ができたのでしょう。テストは知能テストみたいでおもしろかったです。 ⇒発達障害の検査を受けてみました

 

もっといい呼び方があればいいのにね

「発達障害」という名称は、私はあまり好きではありません。言霊といわれるように、言葉には力があります。「障害」と言ってしまうと「自分の中のデキナイコト」に意識が向いてしまいます。「発達障害」を意識したときいは、普段ならばスムーズにいくような場面でもパフォーマンスがあがりません。⇒発達障害というマイナスの魔法をかけるのは、もうやめよう。

 

セラピーの技法を使って、さらに統合を続けます

それでも、まだまださらに、自分の中にある「無価値感」や「劣等感」を癒したり統合したりしていくと、「障害」という言葉を聞いても、左右されない自分でいられるようになってくることに気がつきました。

マイペースだったり、バランスのわるいところはあるのだけれども、そんな自分もそのまま認めて、その上で何ができるのかということに意識が向くようになってきています。なのであえて、「発達障害」という名称の渦の中に入ってみることにしました。

 

「できないこと」を「できるようにする」のは限界があります。抑圧から解放されて「できるようになること」はたくさんあるのですが、もともとも資質にないものは、どうがんばっても無理なのですね。私自身もどうがんばっても定型発達(発達障害の傾向のない人)と同じことができるようにはなりません。

 

だけれども、これだけ長く熱心に諸々のセラピーの経験ができ、その過程から多くのものを学ぶことができたのは、能力のアンバランスさがあったからです。たぶん私たちは、何かしらの意味があって、その個性を選んで生まれてきていると思うのです。⇒ 自分を生きる。おもい(想い)のままに豊かに生きる

 

 

癒しからはじまる「自己成長」

自分の状態を整えるために取り組み始めた数々のセラピーのワークは、自己成長や能力開発、健康の維持に役に立ちました。これからの時代、環境や周りの状況はどんどんかわっていくでしょう。自分の力ではどうしようもないこともいろいろ起こってくるでしょう。

そんなときでも、自分の状態をいい状態に整えることで、そのままの自分で、自分らしく夢を叶えていくことができていく。

その経験を、一足早く私はすることができたのかなぁと思っています。「発達障害」云々は関係なく、必要な方に必要な情報が届いていけばうれしいです。

 

みんながそれぞれに、生まれもった資質を生かして、毎日を豊かに楽しくすごせますように

 


【経験・資格】

感情を自由にするタッピングセラピー EFT-Japanセラピスト

実践心理学 NLPマスタープラクティショナー

カフェキネシインストラクター

ピーチタッチインストラクター 

レイキサードディグリー

他、メンタルワーク、ボディワーク、エネルギーワークの諸々の学び