メンテナンス前のこと


「メンテナンスする前は、私も大変だったのです」

 

いま、お会いする方たちに、そうお伝えしても、なかなか信じてはもらえません。

 

ですが、問題がいっぱいの日常から「自然体でいるのに、思ったことが実現し、毎日を楽しくすごす」ところまで、自分自身を育てなおしていくことはできます。

 

時間はかかりますが、子どもが成長するように、確実にゆっくりと進みます。

 

以下は、私の過去のひどかったときのことを記しておきます。

あなたの進化の一つのヒントになれば嬉しく思います。


 ◆生きづらかった子ども時代

 ◆「自己主張しないのに嫌われる」謎

 ◆ストレスから、からだにも不調が出てきます

 ◆淡い期待「環境や周りの人が変わったら・・・」

 ◆価値を足せば、人間関係はよくなるのかも・・・



◆生きづらかった子ども時代 

  

子どもの頃から23歳くらいまで、周りの人と一緒にいても、気が休まることはありませんでした。

 

人と会話ができません。質問されたら答えてましたが、話題がないので「おはよう」のあと、話が続かず、会話のキャッチボールができません。

 


なので、学校もおもしろくありません。休み時間、イベント、学級活動は苦痛でした。みんなと一緒に過ごしているのに、その場に居場所がないのです。クラスだけでなく、部活やアルバイトの場でも、みんなと一緒にいることが、いつもストレスになっていました。

 

その中で、ひとり、ふたり、話せるお友達もいたのです。けれども、そのお友達と一緒にいても、どこか緊張しています。「私と一緒にいて、楽しいのかなぁ」いつも、いつも、不安を感じ、「相手の人にどう思われているの?」「気に障ることはしなかったかしら?」そんなことばかり考えていました。

 

 


 

◆「自己主張しないのに嫌われる」謎

 

「我がままを言っても、みんなに愛される人がいる。なのに、人の意見を聞いて、嫌われないようにしている私は、どうしてお友達ができないの?」

 

子どもの頃からずっと、疑問に思っていたことです。

 

小さい頃から、いじめられたり、仲間外れになることも多かったですが、小学生の頃はまだ、単純にクラス、みんなで遊んでて、比較的穏やかに過ごしていました。

 

本格的に、人間関係に悩み始めた中学生の頃から、「お友達に好かれよう」と気を遣ったり、自分の意見を言わなかったことが、裏目に出たのか、なんとかしようとすればするほど、孤立は深まっていきました。


  

今、振り返れば、この頃の私は、自分がどう感じているのか? 自分でもわからなかったです。体験したことを尋ねられても「よくわからない」としか言えません。心に霧がかかったようで、ほんとにわからなかったのです。

 

自分のことも話さず、考えや意見も言えない私は、「何を考えているのか、わからない子」「面白くない子」ととらえられます。

 

周りの人の意見に振り回されても、嫌なことをされても、嫌われることが怖かったので、必死に笑顔を作っては、仲間に入ろうとついていきます。けれど、こちらから相手に歩み寄っていけないくほどに、相手は距離を広げていきます。

 

先生や母親、大人たちも相談に乗ってはもらえましたが「害がないのに、どうしてお友達との関係に苦労しているのかしら?」と首をかしげていました。

 


 

◆ストレスから、からだにも不調が出てきます

 

ストレスの多い状態は、健康にも影をおとします。学校に行きたくなかったのですが、目立つのが怖く、登校拒否をする勇気もありません。無理して学校に行っていると、過敏性腸症候群に悩まされるようになりました。

 

いくつか病院にも行ったのですが、どこも異常はありません。

お医者さんから言われることは決まっていました。

 

「ストレスから来ているのかな。細かいことは気にしないで、ストレスはためないようにしてくださいね。」

 

不調の原因はわからないし、ストレスを解消するのもどうすればいいのかわからない。相変わらず学校には居場所はないし、友達との関係もしっくりしない。

ますます、学校には行きたくない。憂鬱な日々は続きます。

 


 

◆淡い期待「環境や周りの人が変わったら・・・」

 

憂鬱な日々が続く中、唯一の希望は、「環境や周りの人が変わったら、次こそ、よくなっていくのかも・・・」でした。

 

クラスが変われば、変わるかな。

高校に進学すれば、変わるかな。

興味の近い人が多い大学に行けば、楽になるかな。

社会人になったら、かわるかな?

 

当時の私のかすかな希望は、次の段階での期待をしながら、毎日をすごすことでした。勉強は、授業を聞くだけで内容を理解でき、苦労なくやれることができたのです。

 

けれども、新しい環境に移っても、始めの頃は「なんとなくいい感じ」でいられても、時間が経っていくほどに、やっぱりいつもの「よくない状態」に落ち着いていきます。

 

環境や登場人物が変わっても、私個人の体験は、いつも同じものでした。

 


 

◆価値を足せば、人間関係はよくなるのかも・・・

 

次に私が考えたことは、何か「人より秀でたすごいこと」ができるようになると、周りの人の私に対する印象が変わるのではないか?ということでした。

 

唯一できた勉強を頑張った動機のひとつも、それです。

 

皆が難しい問題がとけたら「すごーい」って言ってもらえるのかな?

テストでいい点数を採ったら、仲間に入れてもらえるのかな?

 

学習面で苦労することはなかったけれど、よい点を取れたところで、周りの人との関係がよくなることはありません。

 

でも、他に方法が思いつかないので、「自分に価値を足していくこと」を、どんどん続けていきました。

 

勉強や資格の取得。社会人になってからは、周りの人が答えられないことも、ちゃんと説明できるように。

 

でも、それができるようになったところで、人間関係はよくならない。

 

いま思えば当たり前のことですね。

 


 

子どもの頃からの23年間は、ほんとにつらい時代でした。

 

けれども、厳しい時代があったからこそ、まだ、目新しかった数々の方法に取り組んで、ひとつの方法で「もう大丈夫!」なることもなく、長い時間をかけて「自分を育てなおすこと」に、取り組めました。

 

いま思えば、なくてはならない経験です。

 

過去の私にありがとう。

逃げずによく、頑張ってくれました。感謝します。

 

 

⇒ 変化のはじまり「自分が変わる」